惜別

本日、王貞治監督の辞任が発表された。御年68歳。私個人の意見としては、引っ張りすぎである。いつまで、王監督におんぶにだっこなんだという気持ちだった。もっといえば、いつまでON頼みなんだ、という気持ちだった。既に引退してコミッショナーをやってもらった方がよっぽどよかったと思っている。

別に王監督が嫌いなわけではない。むしろ、好きで、尊敬もしている。監督としては、向かっていくというところがあまりないから、物足りない面もあったけど、本当は熱い性格の人。じっと我慢されていたに違いない。その気遣いが胃ガンを呼んだのだろうか。

95年、ホークスの監督として就任したときは、まだ中学生だったけど、無理だ、と思った。いや、誰が来ても無理だ、と思っていた。事実、始まって数年、チームはBクラスを彷徨った。96年、日生球場最後の日に、バスに生卵をぶつけられもした。あの屈辱の日々を経て、チームは強くなった。もちろん、根本流の戦力補強がものをいったことは間違いない。しかし、あの万年Bクラスだったチームに来て、「優勝する」と言い続け、鼓舞したのは監督だった。最初は、失笑する選手もいたという。そういったとても戦う集団とはいえないチームを戦う集団と変えていった。そして、選手時代に残した偉業を畏れた選手達のもとへ自ら降りていった。選手との溝も徐々に埋まっていく。98年。Aクラス、優勝も目指せる位置にいたものの、最後に大型連敗。Bクラス突破ならず。
翌年、前半戦、四番小久保の大不振に耐えながら、起用し続けたのは監督だった。そして、この年、キャッチャー城島が一本立ち。若菜コーチの説得により、我慢し続けた甲斐あって、開花。投手陣は前年13勝を上げた武田を欠くも、ルーキー星野、永井が、10勝。苦手だった西武にも彼らのおかげで勝ち星を挙げていく。そして、工藤の奮闘。要所での若田部の西武戦での好投。それを支えた中継ぎ、抑え陣。今は亡き藤井将雄が投げ、吉田修司がつなぎ、篠原を経て、ペドラザへ。勝利の方程式が確立した。後半戦は、ほお骨を骨折しても出続けた秋山が引っ張り、小久保が復活、篠原が奮闘。この年、優勝。日本シリーズも制する。2000年は、投手陣がよくなったものの、渡辺正和、長冨両投手が勝利の方程式に参入、リーグ優勝。ONシリーズは惜敗。その後、近鉄、西武に遅れを取るが、Aクラスは守る。
2003年は、投手陣が問題視されるものの、斉藤和巳、和田、杉内、新垣の新戦力やルーキーが活躍。100打点カルテット、20発以上が5人、チーム打率が3割に迫る打線でリーグ制覇、阪神とのシリーズも制する。翌年以降はクライマックスシリーズに泣かされ続けるも、Aクラスを死守。
2006年は、WBC監督を務め、その後胃ガン発覚。翌年、復帰するも、ぴりっとした戦いはできず。そして、今年、Bクラスはほぼ確実な上、最下位も目の前。監督の体調とともに、下降線を辿っていった感がある。黒江ヘッドが抜けた穴が予想以上に大きかったこともあるだろうけど。
14年間という長きに渡って、ずっとチームを率いて、本当に戦う集団に変えて、素晴らしい監督だった。ただ、いづれは辞めるときがくるし、新しい風も必要だ、それがこのタイミングだった、ということで受け止めるしかない。本当にありがとうございました。これからも、まだまだ頼らなければならないことが多い、情けない野球界なんだとは思いますが、宜しくお願いいたします。