野球ネタではないけれど

自分への戒めと心に刻みつけるためにも、記すことにした。臥薪嘗胆は、継続してこそなるものだ。

ようやく瘡蓋ができてきたところを無理矢理はがして先の鈍いナイフで肉をえぐり出し、骨を切り裂き神経を斬りつける痛みを味わった。いや・・・この痛みを味わうこと自体、自分だけしか見ない幻覚なのか。はたまた・・・

それとも、無理矢理味わわされたのか。知らなければよかった。でも知ってしまった。どうあれこうあれ知ることだった。たぶん、遅い方が痛みは倍増していただろう。

友人を粗末にしてしまうところだった。痛みを紛らわすために飲みに行こうとして友人を誘ったが、用事で行けないとのこと。ほんとにそれでよかった。我に返った自分は、そんなことをしても大事な友人に対して申し訳ないことになることに気付いた。もう他の人に電話をするのもやめた。痛みは自分一人で我慢しさえすればよい。他に迷惑をかけることはない。前も痛みを微塵も気取られまいと無理矢理封じ込めたなぁ(笑)そんなんばっかり。しかし、今日は出てしまった。たまたま今日は奥の部屋でよかったのかどうか、それはよくわからない。ただ、出したくなかったが、もう抑えられなかった。何人かには、疲れているのかなどいつもと違う様子を指摘された。
それでも自分でもよく我慢できてる方やと思う。杉内投手みたいに悔しさで拳を叩きつけたくなる気持ちがよくわかる。ただ、靱帯損傷したり肉離れして死ぬほど内出血しても無理矢理歩く我慢とはまた異次元の世界。あんなのは、歯を食いしばればいい話。今回は食いしばったところで緩和できない。そして、同時に自分の中のどす黒いものも押さえ込めない。いつものように空を見てもダメだった。情けない話だが、たった一発、ほんとに一発、コンクリートを殴りつけた。それぐらい、自分では抑え切れなかった。あれは、自分にとっては大いなる裏切り行為だった。他の人ならそうは感じないかもしれない。それでも、自分にとってはそうだった。恨みはある。しかし、それ以上に寂しくもある。所詮、自分なんてそんなもんだったのだ。軽く見られたもんだ。屈辱的なことだ。人から蔑み、軽んじられて、何も感じない神経は持ち合わせていない。黙っていられるほど人間はできてはいない。いや、その場では耐えても絶対にそれに甘んじたくない。どんだけかかってもいい。かけてもいい。直接やなくてもいい。自分でなくてもいい。必ず、絶対手痛いお返しをする。それも三倍返しや。

でもそれを表に出すのは今日一日でおしまいにすることにする。いや、正確には押さえ込めるように自分の理性が勝つようにする。
ほんとに自分は精神的に弱い、そして、甘い。それは自覚している。いや、またしても自覚させられたというべきか。なめられたもんである。今日のことは自分の胸に刻みつけておこう。風化させてはならない。させない。今後、自分が大きくなるためには不可欠な要素、自分がついぞ忘れていたものだ。もう12年も13年も前に置き去りにしてしまったもの。悔しさを糧にする精神力。そして、それを継続して保つ精神力。
それは、いつもすぐに自分の中から消えてしまうものだった。いや、消していたのか、いつの間にか消えたのかはわからない。喉元過ぎれば、だったのかもしれない。しかし、それにとらわれるのは嫌だった。自分がそれに縛られるのが許せなかった。基本的に自分は甘いのだ。でも、それではダメだ。無理矢理にでも縛り付けてなければならない。避けてばかりではいられない。成長には必要なのだ。そして、自分に足りないものはそれなのだ。継続は力なり。続けることは大事だ。それもここ一年また学んだこと、実感したこと。その経験も生かす。いや、生かさねばなるまい。生かしてやる。忘れないためにもここに記そう。絶対に忘れてはならないのだ。
そして、明日から人生の新たな1ページを書き始めることにするんだ。